ヨガる。

『 No meditaion No life 』   抵抗せずに、判断せずに、執着せずに・・・調和する 

子どもの名前に敬称(~さん・~君・~ちゃん)と付けること。ウチナーンチュ(沖縄人)の感覚。

ウチナーンチュと子どもの敬称

 

 

さっき、読んだブログ記事。

『「さん」をつけないことに「えっ?」』となった話 - 描かずにはいられない日記

 

このブログは、モノに対する「さん」づけの関西用法がテーマですが、沖縄での敬称(こどもに対して)ついて書きたい。

 

 

沖縄では子ども(他人子ね)に対して呼び捨てにする場合が多々ある。

「ヒロシ」「まさえ」「しずよ」「まこと」みたいに。※昭和風ネイム

 

片や、県外の人(沖縄県外出身)の保護者の方々は、子どもたちに対して「~クン」「~ちゃん」と付けて呼んでいることに気が付きました。

 

たぶん、「くん・ちゃん」づけが常識なのだろう。

うちの子らがそう呼ばれても違和感はないし、逆に大切に呼んでもらっているような気にもなる。

 

 

ただし問題なのは、私らウチナーンチュが、相手のお子さんの名前を呼捨てにした場合である。

 

もしかしたら、「なんて雑なの!」「馴れ馴れしい」「もう!〇〇なんだから」と、心中穏やかではないかもしれない。

 

 

 

では、なぜ我々は、子どもの事を呼び捨てにするのか?

 それは、その子に対して、親しみを感じているからである。

※私だけかもしれませんが、意外と同じ意見はあると思う。

 

 なぜか、くん・さん 付けで呼ぶとよそよそしく感じる。

こそばゆい感じもする。

 

私ごとですが、結婚して1~2年経ったころ、嫁さんの親戚(叔父・叔母)から敬称なし(呼び捨て)で名を呼ばれ始めました。

 

その時私は「仲間入りできた」とうれしい気持ちになったことがあります。叔父・叔母はもっと前から仲間と思っていたかもしれないけど。

  

同様に、自分の子どもの友達や、関わりがある子などに対しては、遠慮なく呼捨てにすることを「親しみの表現」だと思っている。

 私たちおじさんが、ぎこちなく「~くん」「~ちゃん」と呼んでいたら、遠慮をしている可能性もある。

 

もちろん、TPOを考えて、ちゃんと敬称を付けることもしているけれど、思わず「呼捨て」になることも多々発生。

 

 

沖縄で子どもを呼捨てにされた時、「親しんでくれているのかな」と思ってもらうと、お互い気を楽にやっていける。

もちろん中には単純に図々しい性格なだけで、呼び捨てにする人もいます。

 

私も自分の子どもが、関わってくれる大人呼捨てにされていると、「おお、受入れられてるな」って、すぐ思っちゃいます。

 

 

おまけ、呼び名三段活用。

 

余談ですが、沖縄の名前の呼び方3段活用を紹介

 

「名前」→「名前をストレートに呼ぶ場合」→「愛称的 呼び名」

 

「健」→「たけしぃ~」→「たぁーけぇー」

「弘之」→「ひろゆきぃ」→「ひぃーろぉー」

「忠」 →「だたしぃー」→「たぁーしぃー」

「将司」→「まさしぃー」→「まっしー」

※私の周辺では「まぁーしぃー」はいない。英語っぽいから?田代っぽいから? 

「靖彦」→「やすひこぉ」→「やぁーすぅー」or「ひぃーこぉー」