ヨガる。

『 No meditaion No life 』   抵抗せずに、判断せずに、執着せずに・・・調和する 

【ほぼ日】ヨガ、禅の話しかと思われる横尾忠則さんの発言。with 糸井重里・細野晴臣さん

 

サイパンです。

 

糸井重里さんのサイト「ほぼ日」で、

横尾、細野、糸井、3人が集まった日。 - ほぼ日刊イトイ新聞

の企画があって、読み進めるうちに芸術家の横尾忠則さんの

面白い発言がありました。

 

ヨガ的というか、瞑想的な発言の数々を紹介します。

 

「達成感」とか「完成」とか「目的」とか、
そういったものを頭から排除しちゃってるし。

(中略)

「目的」「結果」みたいなものには
あんまり興味がなくプロセスにしか興味ない。
すべての仕事が「未完」で終わるんです。
日常生活もそうだし、
人間関係もすべてひっくるめて全部
「未完」で終わるほうがいいと思う。

   第4回 つきつめない芸術家 より

 

 

ビジネス書などでは、目的や結果は大事。

まず目標設定をしっかり決めてから、

動き出すというのが鉄則だと思います。

 

ただ、瞑想では「~する」のはだめで、

ただなにもしないを「する」。

 

心を安定させる「ため」

幸せを感じる「ため」

悟りをひらく「ため」

と、「~する」「~のため」に瞑想は行わない。

 

ただ、呼吸を意識しながら、時にはマントラを唱えながら

ただ坐るのが瞑想。

結果、心が安定したり、幸せを感じたりするかもしれない。

 

横尾さんが言うように、

「プロセスにしか興味がない」と言うのは、

絵を描いている「今」にしか興味が無い

と言っているように思える。

 

それは、「過去」と「未来」を排した

「今」にあることにだけ興味がある。

「今」の大切さを話していると、僕は思った。

 

 

もちろん、瞑想する際には「瞑想をする」と言う意図はある。

ただその瞑想に「目的」「目標」を求めない。

それを求めると瞑想中にずっと「未来」を追いかけることになり、

それは瞑想ではなくなるから。

 

たぶん、横尾さんは絵を描いている時には、

僕が坐って瞑想しているのと同じ体験をしているのだろう。

 

だとすると横尾さんは

描くことで元気になっているのかもしれない。

瞑想で心を整えるように。

 

第7回 何回やったかが、重要だ。

でも、横尾さんはこんなことを言っている。

やっぱり、横尾さんにとって「描くこと=瞑想的」だと思った。

 

ぼくたち絵を描く人間にとっては
ある意味で、絵は言葉的でもあるわけです。
絵を描くときに、いちばん邪魔になるのが
「考え」なんですよ。
「考え」はつまり言葉です。
頭の中から言葉を排除すると
無心の状態になります。
無心の状態は、言葉が解放されて、
遊んでいるときのような感じになります。
そこに自分を着地させると、
時間を超えてしまうんですよ。
言葉を排除すると、
時間のない世界に入っていっちゃうんですよね。

第7回 何回やったかが重要だ。より

 

これって、三昧(サマディ)に近い状態じゃないだろうか。

絵描き三昧、ドローイングサマディ。

サマディとは心の動きが停止した状態。

上で言うと「考え(言葉)」を排除したのが近いことだと思う。

 

坐って、瞑想をしなくても

人それぞれの瞑想の方法があるのだと思った。

 

ただ、普通に生きていると瞑想的になるほど集中(楽しむ)する

ことって、無い場合がほとんど。(僕もそう)

 

だから、坐禅をしたり静かに坐ったりと、

しっかりとした指導の下行う瞑想は大切だと思っている。

 

 

それと、横尾さんの発言をもう一つ引用。

 

あのね、言葉を解放すると時間がなくなると
言ったけれども、
時間はすごく問題なんですよ。
時間でものを測ったり、
体験や記憶を時間に置き換えると
ぼくはだめだと思うんですね。

(中略)

時間よりも、むしろ
何を何回やったかという「回数」のほうが、
大事なんです。

(中略)

絵を描くときの時間は、
昨日も今日も明日も
過去も現在も未来もないんです。
いまの時間しかないわけでね。
南方へ行くとさ、
人が自分の年齢を知らないということがあります。
だから、あの人たちは、
時間の中で生きてないわけよね。

(中略)

我々は時間の中で生きています。
だけどぼくは、時間よりも、
何を何回したかという
回数のほうが大事じゃないかと思う。

   第7回 何回やったかが重要だ。より

 

悟った人によると、

時間って幻想で「今しかないよ」って言う発言をよく耳にする。

同じことを横尾さんは言っている。

 

結局、極みまで来た人たちは同じ感覚を体験している

のではないだろうかと思ってしまう。

 

宗教も一緒で、道はたくさんあるけど、

ゴールは一緒ではなかろうかと、色んな達人の話しを

聴いていると思わずにはいられない。

 

 

 

糸井さんと細野さんの話しも面白かったのですが、

ヨガ的には、横尾さんの感性が僕の心をわしづかみ

にしました。

 

今日は引用が多くなりましたが、

ブログを読んでくれて ありがとうございます。

 

 

 おまけ

 

そういえば!って思いだしたので追記ですが、

ヘンリー・ダーガーって言うアウトサイダー・アート

代表者がいます。

 

彼は生涯孤独で亡くなった後に、アパートの大家さんが

1万5千ページに及ぶ文章と、300枚の巨大なイラストを

見つけたのがきっかけで有名になりました。

(本人は「捨てくれ」と言っていたらしい)

 

ふと、誰の評価も関係なく、ただ「非現実の王国で」と言う

文章と挿絵を描いていたダーガーはどんな気持ちだったのだろうか?

 

ただ、自分の殻から出ることのなかった「引きこもり」なのか、

ただの変わった人だったのか、

 

それとも、

書くことと、描くことで幸せを味わっていた人なのだろうか。

僕には想像できない。

 

横尾さんに、ダーガーについてどう思うか聴いてみたい。

 

「非現実の王国で」の検索結果 - Yahoo!検索(動画)