ヨガる。

『 No meditaion No life 』   抵抗せずに、判断せずに、執着せずに・・・調和する 

【ヨガ日記】2016/11/30 だんだんと怒り(エゴ)が近づいてくる感覚

『 呼吸法(プラナヤマ)始めてから430日目』
『 瞑想を始めてから384日目』

 

呼吸法(いつも通り4種類)

瞑想

※今日は寝坊したので、アーサナなし。

呼吸はやっぱり深い。ある呼吸法では胸から広がるエネルギーを感じる。

 

夕方の瞑想(定期)

寝る前の誘導瞑想(パンチャコーシャ)

※いま誘導瞑想直後に日記を書いていますが、ズドンと瞑想に入ったので頭がぼーっとしています。

 

誘導瞑想で、身体の各部分を意識する時に、しっかりと意識を持っていけるようになっている。良い意味での身体の鋭敏さが保たれていると感じる。

 

 

日曜に終えたリトリート。

その後の怒り(エゴ)と自分の関係について。

 

〇月曜 

 心が平穏・静寂。怒りがまったく湧かない一日。

 

〇火曜 

 月曜と比べてエゴの怒りが発生しているのを感じる。

 ただ、自分の中心から20mのところ(心の感覚)で怒りが発生している感覚なので、怒りが自分の中心に届いてこないので、自分自身は怒りはない(怒らない)。

 

〇水曜(今日)

 怒りの発生位置が、自分の中心から5m位のところで発生している。

 その怒りの振動が自分にも伝わってくるので、たまに身体が怒りに反応しそうになる ことがある。特に腕や足が反応しそうになる。

 

 ことあるごとに呼吸を意識し、怒り(エゴ)に身体を持って行かれないように気を付けるコトができる。

 

 なぜか、自分より周りが慌ただしくしていると感じる。

 良い意味で引きが強くなっている。

 

 だんだんと、頭の中のおしゃべりが増えており、エゴのおしゃべりに身体が乗っ取られることが出てきた(たまに独り言も言う)が、おしゃべりを「ポーン」と手放すことが以前より上手になっている。

 

 

私が「ポーン」と手放しているのは、親鸞浄土真宗)の言うところの「他力」だと思う。

自分で考えてもどうにもならないことは、もう神様か何かに渡すように、考えずに流れに任せるようにしている。

 

 

怒りなどのエゴに自分が飲み込まれないように、その時々の自分のメンテナンス(立て直し)方法を模索中。

 

ヨガスートラも再読開始。

以前よりも理解が深まっている。

 

体重がちょうどリトリート初日の一週間前と比べると「-1~1.5㌔」。

アーユルヴェーダのクラスで指摘された、間食をやめたことが効いているのか?

 

現在、一日2食(昼・晩)。おやつは間食としてでなく、ごはんにくっ付けて食べています。